東京都では、年一回、都内に勤務する技能者の中から極めて優れた技能を持ち、他の技能者の模範と認められる方々を「東京都優秀技能者(東京マイスター)」に認定し、東京都知事賞を贈呈しています。今回は、左官職人(※)として、伝統建築の修復や復元、商業施設や個人邸の内外装まで幅広く手がけ、国内外において活躍、令和7年度の東京マイスターに認定された久住有生さんにお話を伺いました。
※左官職人:鏝(コテ)を使って、建物の壁や床に砂壁や漆喰(しっくい)塗り仕上げる専門技能者。
夢は、パティシエだった
祖父の代から左官業を営み、父は左官職人として広く知られた存在(※久住章氏)だったこともあり、私と弟は、壁塗りの練習をするのが小学生の頃の日課でした。手伝い程度ではなく本格的なもので、畳一枚分くらいの練習台を塗らないとご飯を食べさせてもらえないくらい厳しいものでした。夏休みや冬休みも現場の手伝いで、弟と嫌々やっていました。なので、「左官職人にだけはなるまい」と思っていました。
子供の頃は、お小遣いを貯めてケーキを買いに行くのが楽しみだったので、パティシエになりたくて、高校時代はずっとケーキ屋でバイトをしていました。父の訓練の成果か、手先は器用だったので、ケーキもすぐに作れるようになりました。高校三年生の時、「パティシエになるための専門学校に行きたい」と父に伝えました。すると、「とにかく費用を出すから、夏休みにヨーロッパを見てきたらどうか。」と勧められ、1カ月半、一人で旅に出ました。
※久住章/「カリスマ左官」と呼ばれる左官職人。世界の土壁を見てまわり独自の技を創り上げる。
富士屋ホテル カスケードルーム
箱根の「滝」「霧」「磁場」を感じてもらうようデザインした土壁。
ガウディ建築の衝撃
ドイツのケルン大聖堂をはじめ、父に勧められたヨーロッパを代表する世界的文化遺産を見てまわり、旅も終わりに近づいた頃、スペインのバルセロナでサグラダ・ファミリアを初めて見ました。それまでバロック様式やゴシック様式の建築を見て、「すごいな、こんなものが造れるんだ」と思っていましたが、ガウディの建築は「宇宙人か」というくらいの衝撃。震えました。当時は建て始めて100年経った頃で、完成までにあと300年くらいかかるため、作業は続いており、壮大な建築物と楽しそうに働く職人、まわりに集まる観光客、すべてに圧倒され、訳もわからず感動しました。その時、初めて左官の仕事もいいなと思ったのです。帰国後も、進路には迷っていましたが、卒業直前、父から「ケーキは食べたらなくなるけど、左官の仕事は一生残るで」といわれ、父の仕事ぶりも知っていたので、この世界に入ろうと決めました。
ポルトムインターナショナル北海道
エントランスロビー高さ7m、横幅3mの大壁。
壁と向き合う日々
最初の半年間は、淡路島の左官職人のもとで修業、それから父の手伝いを半年、その後、2年間、別の職人のもとで本格的に学び、22歳で独立しました。手がけてみたい仕上げや覚えたい技術が山ほどあったので、早く独立して身につけなければと思ったからです。24〜25歳の頃、京都で文化財、特に茶室ばかり手がけていました。仕上げに10〜20年かかるのは当たり前。当時は左官を突き詰める先がそこだと思い、それ以上の仕事はないと考えていました。どれだけ自分に厳しくできるかで腕が上がると考え、作業は最低16時間。寝る間を惜しみ、ご飯もろくに食べず、ストイックに「壁」と向き合いました。
その頃、父の知り合いの建築家で大学でも教えている丸山欣也先生(※)に、何度かお会いしたのですが、いつも僕の塗った「壁」を「きれいすぎる」というのです。当時はその意味がよくわかりませんでした。ある時、先生から「沖縄の今帰仁村(なきじんそん)で学生を集めて、30~40年前に手がけた建築のメンテナンスのためにワークショップを開いているから来ないか」と呼ばれました。左官職人として学生に教えて作業するものと思っていましたが、ずっと街をふらふら歩き、集落を廻り、景色を見たり、学生と話したりしていて、作業は一向に始まらない。ようやく数日して、先生が「まあ、石灰でも作ってみるか」と言い出し、知識としては知っていても実際に作ったことがないので、学生と実験のように作り始めました。その頃になって、ようやく自分が「壁」しか見てなかったことに気づきました。建築の中の「壁」であって、建築物は自然、景観の中にあるもの。そのことに気づき、それまでぎゅっと凝り固まっていたのが、初めて自由な気持ちになれました。考え方が変わったのは、そこからです。新しいことをするようになり、趣味も持てるようになった。そこが一つ転機だったと思います。
※丸山欣也(きんや)/1939年生まれ。国際的な建築家。アトリエモビル主宰。今帰仁村中央公民館、名護市庁舎などを設計。
G7広島サミット迎賓館
風・波をイメージして作った土壁。
自然を知る、難しさ
最初に直面するのは、まっすぐ、平らにする技術。それをフリーハンドで出すのが難しく、コンマ数ミリの話で、壁をコテで撫でている時は、目と指の感覚を頼りに呼吸を止めてスピードを一定にします。次は、何がきれいなのかの判断。自然は誰が見ても美しいけれど、人間が作ったものは見る人によって判断が変わります。そのため、自分の中に何がきれいなのかという軸を持つ必要があり、それには訓練が必要です。さらに、自然の材料を扱うので、毎回、同じものがあるわけではありません。難しいのは、それを見極める力です。僕らが使う材料は、水を入れて練って、塗って乾かし、乾く瞬間に仕上げるものです。その乾く瞬間に湿気が多いと、この仕上げはできない、逆に乾燥が速ければ、この塗りはできないというように、作業は自然の状況に左右されます。伝統的な仕上げの場合、4〜5月とぎりぎり10月のみ。年間にその2〜3カ月しか仕上げができないものもあります。感覚として自然のことを理解していないと、きれいなものは作れません。そこがいちばん難しいところです。今は、建材メーカーが調合した材料を塗るのが左官職人の仕事になっていますが、もとは職人それぞれに気に入った土や砂があり、形も質も色も違うので、自分たちで集めて作っていました。それが時代とともに変わり、その能力は失われつつあります。僕が海外の仕事を楽しいと思うのは、現地で土探しから始まって、その土地でしか採れない土を使うから。どこの国へ行っても、土を見れば、どういう性質の土か、なんとなくわかるし、触れば、使えるものかどうか判断できる、それは、子供の時から土を触ってきたからで、そこは父のおかげかもしれません。
シンガポール Capita Green
900平米の大壁。日本の職人20名、現地の職人10名、計30名で3ヶ月かけ現地の材料(土)を使った大壁。
飽きない理由
この仕事に携わって35年になりますが、同じような仕上げでも、僕にとっては毎回違います。「前よりも良くする」という思いがずっと続くから飽きないし、考えることがたくさんあるから面白い。それに、自然相手に材料を探すのも面白い。今の工事は工期を短縮するため、工場で作ったものを現場で取り付けるのがほとんど。でも、僕らは材料も道具もすべてトラックに積んで現場に行き、材料を練るのもその場で行います。配合を変え、見せたいものに応じて、こう変えようと、その場で作りたいものを変えることもでき、日々の仕事は自由自在です。長く続けてきた今でも、いまだに「え、こうなるんだ」と予想以上の仕上がりになることがあります。自然に影響を受けるからこそ、自分の思いだけでねじ伏せるようなやり方では、いいものはできないし、人間一人ができることは限られている。それが、すごくわかりやすいかたちで出るのが左官の仕事。だから飽きずに、ずっと好きでいられるのかもしれません。
| 企業名 | 左官株式会社 |
|---|---|
| 所在地 | 東京都港区南青山6-4-6-202 |
| 連絡先 | TEL:03-5544-8534 |
| ホームページ | 左官株式会社のHPへ |
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