日本の近代ジュエリーの夜明け
明治の終わりから歩み始めた日本の近代ジュエリーは、世界に比して、200年ほど出遅れたという。もともと日本は、西欧的なジュエリーの概念に当てはまるネックレス、ブローチ、指輪などの装飾品が歴史的に存在しなかった。つまり、日本人は開国によって初めてジュエリーと出会い、その遅れを取り戻すため、先人たちは試行錯誤を重ね、とりわけデザインに関する知見の吸収に注力した。
「デザインの勉強のため、欧米に積極的に人を派遣していました。1964(昭和39)年頃にはデザインレベルが向上し、そこに伝統的な金工技術を取り入れることで、世界に通用するジュエリーづくりをめざす動きが出てきました。」
鋳金・鍛金・彫金などの金工技術は、千年もの昔から仏像の鋳造や仏教美術、刀剣の鍔、目貫、装飾といった金工品を生み出す技術として、脈々と受け継がれてきた。こうした優れた技能に加え、デザインの遅れを取り戻したことで、一貫したものづくりができるようになる。「世界的なコンテストでも日本が上位を占め、近代ジュエリーを生み出す総合力が身についたことで、ようやく世界と肩を並べるまでになりました。」
歯科技巧を応用
匠が手がける蝋型鋳造は、蝋の特性を利用した鋳造法の一種で、日本では飛鳥時代の初期に仏像とともにもたらされた。当時の金銅仏は、巨大仏を除き、ほとんどがこの技法によるものである。匠が蝋型鋳造を採り入れたきっかけは、歯の治療だった。
「歯科医が入れ歯などを作る際に、細かいパーツとして鋳造品が使われているのを見て、応用できると閃きました。金や銀といった金属素材によって溶ける温度が異なるため、細かい作業には限界があり、完全に鋳込むことができる形を把握しておかなければなりません。そこは歯科技工士の方に教わりながら応用しました。」
千年の時を超えて
美術館や博物館に並ぶ、古の名工の手による数多の作品。その一つひとつに卓越した技術が眠る。匠は、その技を掘り起こし、ジュエリーづくりに採り入れることで、今の時代の光を当てたいと考えている。
「古の優れた技術を何とか自分のものにして、今の時代に生まれ変わらせたい。江戸時代にも、技術を伝えることなく去っていった名工が大勢います。文献はなくても、作品は残っている。そこから技術を読み解き、工法を導き出す。今やらなければ、本当に幻の技術になってしまいます。時間はかかりますが、集大成の仕事にしたい。」
優れた技術を、次に繋げていく。それには、丁寧に丹念に作っていくしかないという。「古墳から千年前の金細工などが出土されますが、当時のままです。自分の手掛けたものが、果たして千年も残るものなのか。見るに耐えないものにならないよう常に精進します。」
手で生み出すものの魅力とは、時を越えて残ること、そこにこそある。
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