手刻みの醍醐味
建築大工が手がける領域は広く、そして深い。
「昔ながらの手刻みの場合、鉋(かんな)や鑿(のみ)を研いで使えるようになり、図面を見て“墨付け”“刻み”ができる、つまり一軒の家を建てるための基本ができるようになるには、それなりの時間と経験が必要です。」
施工手順や使う木材を割り出す“木拾い”を読むための施工図を“手板”という。
「大工は手板を見ながら墨付けをします。屋根の荷重がどの程度かかるか、それを受ける柱、梁はどれくらいにするかを考える。今は構造計算ですが、昔はすべて大工の勘、経験値。そして、木材の特徴を見ながら木取りを行い、組み合わせる継手、仕口をどこにするか、どう組めば、長く仕口が効くのか、継手が離れないかを考え、“墨付け”をしていきます。」
「墨付け」は、墨壺で芯墨を打ち、その芯墨を基準に指矩(さしがね)で仕口・継手の墨をつけていく。その目印を頼りに鑿を当て、玄翁(げんのう:金槌)で叩き、木材を削りながら加工するのが「刻み」である。鑿が木肌に打ち込まれ、勢いよく木っ端を弾き飛ばす瞬間の、小気味よい音とリズム。現場に響く乾いた音は、手刻みの象徴でもある。
内法に込められた意味
昔は、“和室ができるか、内法(うちのり)が入れられるか”で、一人前かどうかを見極めた。
「“内法を入れる”というのは、柱の間に敷居や鴨居を取り付けることを指しますが、無垢の柱は、広がったり反ったりする。だから、“背割り”といって、予めノコギリで割りを入れ、乾燥による材面割れを防ぎます。こうした木の変化を見越して、何年経っても内法に空きが出ないように取り付けられるか。そこまでできて初めて、一人前といわれます。」
木材の経年変化を織り込み、そこにひと手間加えることで、形状が変化しないように仕上げる。あるいは、変化しても手直しできる組み方をする。それらすべて含んだ上で、和室を扱えるようになることを「内法が入れられる」という言葉で表現する。建築大工の世界は深く、そして豊潤である。
思いが、道具と技を引き寄せる
家一軒を建てることに対して、どこか一点でも手を抜いたら、その家は半端なものになる。
「家づくりは、全体をまとめるのが難しい。例えば、階段を作るのは雑作ない。でも、すべてがつながって一つの家として構成されるので、それらをうまくまとめ、すべてに目配り・気配りができていないと、きちんとした家にはなりません。どこか一つでも “まあ、いいや”と流してしまうと、全体が“まあ、いいや”という家になってしまう。」
これまで、ほしいと思った道具は自然と自分のところにやってきたという。
「名工といわれる刀鍛冶職人が手がけた10本の組鑿があります。100万切る値段だったら買う価値があるといわれているものですが、よほどでない限り、新品は手に入らない。ほしいな、でも買えないなと思っていたら、年配の人から“引退するので、やるよ”と。ほしいと思うものは、大抵、向こうからやって来ます(笑)。」
道具は、自らの技量を測る物差しでもある。
「上手い人が使っているものを見て、道具が違うのかなと思い、思い切って同じものを買う。“これ、切れるよ”と言われれば、使いたくなる。そうやって、ワクワクしながら使ってみると、どうもうまくいかない。結局、道具を使いこなすのは、腕であり、技。上手くなりたい、あの人に負けたくない、いい道具を使いこなしたい、そういう思いがあるから成長する。そういう思いがある人とない人の違いは大きいと思います。」
思いが、人を強くする。強い思いで、人一倍努力しながら進む、その先に確かな技が見えてくる。手と道具が生み出す技とは、思いと努力の結晶である。
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